ファントム・オブ・パラダイス
PHANTOM OF THE PARADISE
1988年10月26日-1988年12月16日
ブライアン・デ・パルマの早すぎた才能 『ファントム・オブ・パラダイス』 三留まゆみ
のっけから私事で恐縮だがひとつだけ自慢話をさせてほしい。
昨年の秋、私は第2回東京国際映画祭で来日したブライアン・デ・パルマに会うという幸運に恵まれた。雑誌がらみの仕事の一部だったが、それはもう天から降ってきたような出来事であった。『ファントム・オブ・パラダイス』に魅せられて10余年。本当に長いことファンをやっててよかったと思った。
その日、私は自家製の“デス・レコード”のTシャツを着て行った。“デス・レコード”というのは『ファントム―』に出てくるレコード会社のレーベルで、その名の如く死んだカナリアがシンボル・マークになっていた。
気難しい顔のデ・パルマの前に立ってジャケットのボタンをはずし下のTシャツをぱっとのぞかせる。一瞬、彼の瞳が晴れた。
「それをどこで手に入れたんだい?」
彼は少しばかり身を乗り出すとこういった。私は手に入れたのではなく自分でつくったこと、映画館で何十回も映画を観て、自分で絵を描いてシルクスクリーンで刷ったことなどを早口で熱っぽくしゃべった。すると彼はこういったのだ。
「ファントム・フリーク!!」
それこそ天にも昇る気分だった。これは『ファントム―』を愛する者にとって最高の言葉だった。
幸運はそれだけではなかった。次の瞬間、我がブライアン・デ・パルマはキャノンの8mmビデオを取り出すと撮影をはじめたのだ!10年あまり憧れていた神さまみたいな監督が私にカメラを向けている!!まさにわが人生最良のときであった。彼は小声で自らナレーションを入れていた。
「シシー・スペイセクの夫であるところのジャック・フィスクがデザインしたデス・レコードのマークを彼女がTシャツにプリントした―。」
映画少年そのものだと思った。ナイーヴでシャイで熱っぽくて。私は彼が、『ファントム―』がますます好きになった。
『ファントム・オブ・パラダイス』は日本では’75年に公開された。『悪魔のシスター』(’73年)に続くデ・パルマ作品だったが、ロードショウは早々に打ち切りになるという不幸なスタートだった。
『オペラの怪人』をベースに古今東西の映画のエッセンスをぶちこみ、ロックと怪奇映画をドッキングさせるというアイディアが過激すぎたのだろうか。スプリット・スクリーンの多用や360度パン、TVモニターによる覗き趣味など、ここにはデ・パルマ映画の全てがあった。
恋人を、歌を、顔を、そして魂を奪われた心やさしい青年はファントム=怪人となって復讐を誓う。主人公に容赦なくふりかかる狂気の受難、物語は加速をつけて戦慄のラストへとなだれこむのである。
デフォルメされたキャラクターとエネルギッシュな演出、『ファントム―』は今、観てもぎんぎんに輝いている。早すぎた才能というべきかもしれない。製作から14年たってやっと時代が追いついたのだ。
心無い評論家たちは残酷で悪趣味でグロテスクな映画といったが、これほどまでに愛にあふれた映画を私は知らない。ラスト、悲劇の主人公は悪魔に復讐を果たして力つきる。彼を救うのは「ウィンスロー」というヒロインのつぶやきだ。この一言は百の「I LOVE YOU」よりも心にしみる。
『ファントム―』は若い才能が集結してできた映画でもある。主演のウィリアム・フィンレイはデ・パルマ映画の常連。デ・パルマのコロンビア大学時代のルームメイトであり、ネオ・オブストラクト派の画家でもある。ヒロインのジェシカ・ハーパー(ロッキー・ホラー・ショー続篇『ショック・トリートメント』にもリチャード・オブライエンといっしょに出ている)は舞台出身、彼女はこのあとダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77年)に起用されて話題になった。ゲイのロック・シンガーを演じるゲリット・グレアムもまたデ・パルマの古い友人だ。彼はローリング・ストーンズ誌やフュージョン誌などにコラムを持つ音楽評論家でもある。そして忘れてはならないのがポール・ウィリアムズ!悪魔の化身スワンを怪演する彼はいわずと知れたシンガー・ソング・ライター。「オールド・ファッション・ラブ・ソング」やカーペンターズの「雨の日と月曜日は」などヒット曲も数多い。本篇でも全曲の作詞作曲を担当し、その幅広い音楽性を知らしめた。(廃版になってしまったがこのサントラは名盤中の名盤!)
スタッフもすごい。製作のエドワード・R・プレスマンは今やハリウッド一のプロデューサーだし、編集のポール・ハーシュは『スター・ウォーズ』(’77年)の名エディターだ。セットのクレジットには『キャリー』(’76年)のシシー・スペイセクの名前も、美術のジャック・フィスクは彼女の夫でこのあとテレンス・マリックの『地獄の逃避行』(’74年)『天国の日々』(’78年)、デビッド・リンチの『イレイザー・ヘッド』(’78年)などを手がけた。撮影のロナルド・テイラーはキューブリックの『時計じかけのオレンジ』のカメラマン。メイク・アップにラルフ・ミラー、特殊メイクのデザインに『猿の惑星』(’68年)のジョン・チェンバースもクレジットされている。『ファントム―』は第3回(’75年)アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞、つまりファンタスティック・ファンだけがこの早すぎた才能を認めていたわけである。
(みとめまゆみ/イラストレーター)
監督+脚本:ブライアン・デ・パルマ
製作:エドワード・R・プレスマン
製作総指揮:グスタフ・バーン
撮影監督:ラリー・パイザー
美術:ジャック・フィスク
振付:ハロルド・オブロング
編集:ポール・ハーシュ
作曲+作詞:ポール・ウィリアムズ
キャスト:ポール・ウィリアムズ/ウィリアム・フィンレイ/ジェシカ・ハーパー/ジョージ・メモリ/ゲリット・グレアム
1974年/アメリカ/カラー/35mm/94分
原語:英語
協賛:日本たばこ
配給:ユーロスペース