春にして君を想う
Children of Nature
楽園へ、二人は旅だった。
アイスランドからの珠玉の贈りもの。
1994年2月11日-1994年3月25日
[解説]
珍しくもアイスランド映画。それも特異な風土を美しい映像で差し出し、見る者の肌に伝える。およそ地球上の景色という景色は雑誌のグラビア・ページに収穫されたかのような現代に、それでもなお見ていて不思議な光景にあふれた映画があるということの驚き。ソウルゲイル78歳。農夫をすることに疲れ、首都レイキャヴィクに住む娘を訪ねたが、彼には孫娘が宇宙人のように遠い。一緒には住めないという失望。そんな老人が偶然、ある女性と再会した。
ステラ79歳、かつて彼が育った地で出会い、想いを抱きながらも離ればなれになった女性。歳月にもかかわらずだがいを見落とすことはなかった。故郷に帰りたいというステラの夢をかなえるために二人は失踪し、盗んだジープを走らせる。
「老人がジープを盗んで失踪─そんな事件があるか?」と捜査の刑事。自分たちについての報道を聞いたステラは、
「私たちがスニーカーをはいていることは言わないわね。」予断や偏見に曇らされていない目だけが感知できる奇跡と幻想の数々。検問や目撃者の情報をかいくぐった二人は一歩一歩目的地に近づき、とある農家の納屋にもぐりこんで一夜を過ごす。
「昔と同じ月ね」
「どうかな」
「・・・?」
「あれから人間が降りた。荒れているだろう」
二人がめざすのは、幼くしてたがいに知り合った思い出の土地。それは二人にとっての手あかに汚れていない月のよう。二人のさまよう世界は、もはや人が踏み荒らした月のようなもの。
「この脚本を書いている頃、二人の老人が住む家に間借りしていた。十年前には老人のドキュメンタリーを作ったこともある。彼らから感じた超自然的なもの、自分が彼らに抱く思いを込めたつもりだ」と、フリドリクソン監督は語る。不思議な、岩がむき出しの丘に霧がたなびくアイスランドのSF的な雰囲気が監督のそんな思いに答える。讃美歌が低く流れ、その讃美歌に導かれるような二人の行く手には、超然とした雰囲気が立ちこめてくる。この映画では自然こそが主人公として豊かな表情を見せる。その中にあっては人間など本当に小さな存在であり、“自然の子供たち”にすぎないということを淡々と詩的に語りかけてくる。
監督のフリドリック・トール・フリドリクソンは、独学で映画作りを習得し、シネマテークを主宰してきた気鋭。この映画が長編第二作。人間の孤独と不安そして生と死、自然との関わりをアイスランドの荒涼たる国土の中に見事に昇華させたフリドリクソンの演出力は高く評価され、‘92年のアカデミー賞外国映画部門にノミネートされると共に、ヨーロッパ各地の映画祭で多くの賞を受賞した。たちまちジム・ジャームッシュのプロデューサー、ジム・スタークに認められ、次回作『コールド・フィーヴァー』を撮ることが決定している。主演は永瀬正敏。日本でもこれから馴染みのない監督ではなくなりつつある。彼は永瀬正敏の最新CDのビデオ・クリップを担当、こちらのほうは一足先に撮り上げている。ヨーロッパ各地で大ヒットした『春にして君を想う』は、春の訪れとともについに日本にも上陸する。
監督+脚本:フリドリック・トール・フリドクソン
脚本:エイナル・マオル・グドゥムンソン
撮影:アリ・クリスティンソン
音楽:ヒルマル・オルン・ヒルマルソン
編集:スクーレ・エリクセン
製作:フリドリック・トール・フリドクソン/ウォルフガング・プファイファー/スクーレ・エリクセン
キャスト:ギスリ・ハルドルソン/シグリドゥル・ハーガリン/ルーリック・ハラルドソン/ワルゲルドゥル・ダーン・ソウルラウクル/ハルマル・シーグルソン/ブルーノ・ガンツ
1991年/アイスランド=ドイツ=ノルウェー合作/カラー/85分/ヴィスタサイズ
原語:アイスランド語
字幕:遠藤寿美子
配給:ケイブルホーグ/シネカノン