レディ・チャタレー
Lady Chatterley
性は賜物、無限の慰め。
枯渇した生命の泉がよみがえる。
2007年11月3日-2007年12月14日
★2006年度セザール賞 作品賞、主演女優賞、脚色賞、撮影賞、衣装美術賞受賞
セザール賞最多5部門受賞!
D.H.ロレンスの名作「チャタレー夫人の恋人」が今、官能的に甦る。
ロレンス小説の素晴しい映画化。驚異の傑作!─ル・モンド紙
野心的な職人技はロレンスの小説を超えている!─リベラシオン紙
限りない優しさで描かれる欲望と官能の目覚め。─エル誌
本物の恋愛映画! ほかでは観られない恋愛の本質が描かれている。
─ヌーヴェル・オプセルバトゥール誌
20世紀最高の性愛文学、D.H.ロレンス「チャタレー夫人の恋人」が、
“チャタレー裁判”から50周年を迎える今年、21世紀の新解釈で完全映画化!
20世紀を代表する英国小説家の1人、D.H.ロレンスの代表作にして最後の小説「チャタレー夫人の恋人」は、その包み隠さぬ性愛表現のために英米両国でも裁判沙汰にまでなり、“スキャンダラスな小説”のイメージが横行してきた。日本でも伊藤整訳「チャタレイ夫人の恋人」が、1950年に発売され、15万部のベストセラーとなったが、猥褻文書頒布罪で発禁処分となり、翻訳者と出版社が起訴された。裁判は「猥褻か芸術か」が流行語になるほど世間の注目を集めたが、1957年3月13日、最高裁は翻訳者・出版社の上告を棄却して、有罪が確定。文学者等多数がこの判決を批判し、猥褻と表現の自由の関係が問われた一大事件であった。
そして、“チャタレー裁判”から50周年を迎える今年、小説はフランスの女流監督の手で21世紀にふさわしい新解釈を施され鮮やかに甦った。パスカル・フェラン監督が魅了されたのは、3つのヴァージョンがある「チャタレー夫人の恋人」の中でも、コンスタンスとパーキン2人の関係に焦点をあてた「チャタレー夫人の恋人─第2稿」(広く知られている「チャタレー夫人の恋人」は第3稿)。フェラン監督は彼らの激しい愛の静けさを、みずみずしい生命が輝く森と呼応させながら、美しく官能的に描き出していく。
セザール賞最多5部門を独占!
生命の鼓動が震える森で全ての鎧を脱ぎ捨て、2人は触れあい、愛しあう
1921年、第一次世界大戦によって下半身不随となった夫のクリフォード・チャタレー卿との生活は、体の触れあいも心の結びつきもなく、冬景色に閉ざされた石造りのラグビー邸は、チャタレー卿夫人のコンスタンスにとって息のつまる灰色の牢獄のようになっていた。コンスタンスと、チャタレー卿の雇われ人である森の猟番パーキンは、それぞれに深い孤独を抱えていたが、春の目覚めとともに森の中でともに過ごす時間を重ねるうちに、ごく自然に愛しあうようになる・・・。コンスタンスにとっては、官能の喜びへの緩慢な目覚め、パーキンにとっては、生へのゆっくりとした回帰の物語である。
本作は、第32回セザール賞で、作品賞、主演女優賞、脚色賞、撮影賞、衣装美術賞の最多5部門に輝く快挙を成し遂げ、また、「カイエ・デュ・シネマ」誌が選ぶ2006年の最優秀作品に選出、2006年を代表する革新的な作品に与えられるルイ・デリュック賞を受賞するなど、高い評価を受けている。
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生は優しく、静かだ。しかし私たちが手にする事は出来ない。捕まえる事は出来ないのだ。捕まえようとすれば、消えてしまう。握ろうとすれば、塵と散る。支配しようとすれば、愚か者の引きつり笑いを浮かべた自分の姿を見る羽目になるばかりだ。
優しく、自分を捨て、真実にして深い自己の充溢をもってするならば、私たちは他者に近づくことが出来、最良の、そして最も繊細な生を知ることが出来るだろう。それが触れるということだ。地面に触れる足、木に、生き物に触れる指。手に、胸に触れること。体全体に、他者の体に触れること。情熱に満ちた愛の相互貫入。これが生だ。私たちが存在する限り、私たちが皆生きているのは、触れることによってなのだ。 ─D.H.ロレンス「チャタレー夫人の恋人─第2稿」
監督:パスカル・フェラン
脚本:パスカル・フェラン/ロジェ・ボーボ
出演:マリナ・ハンズ/ジャン=ルイ・クロック/イポリット・ジラルド
2006/フランス/135分/1:1.66/カラー/35mm/SRD
字幕:松浦美奈
R-18
宣伝:ビターズ・エンド
配給:ショウゲート